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2007年12月2日

真冬の乗り物

 ぼくは先を急いでいた。目の前にならぶ橇のうちどちらに乗り込むべきか? 時間はもうあまりなかった。サイレンはすでに隣町まで追いつき恐竜のように唸りを振り撒いている。ぼくにはサイレンに顔があるようにその表情をありありと思い浮かべることができた。

  選択肢は二つある。ひとつは胸に「快速」の文字が縫い取られたチャイナドレスの女が鎖で縛り付けられた赤い橇。もうひとつは「急行」の文字が墨書された ゼッケンのビキニ女が蔦で繋がれた黒い橇で、時刻表によれば急行が快速に二分遅れてここを出発する。速度で勝るのが赤い快速なら迷うことはないが、黒い急 行の速度がそれを上回る場合(印象としてはこちらだ)終点までにはたして二分の時間差を逆転するほどなのか。女と橇を結びつける蔦が悪路の揺れで断ち切れ ることはないのか。以上の疑問に突き当たるのだが、訊ねようにも赤と黒の橇を引く女はいずれも猿ぐつわで会話の自由を奪われているし、耳は蝋でふさがれた 彼女らに身ぶりで質問する時間はすでにない。

 けたたましく駆け回るベルがホームにひとり立つぼくに判断をせまる。まもなく駅舎 から自動的に発射される矢を背に受けたチャイナドレスが、苦痛のあまり飛び出せばあとはひたすらぼくに訃報を届けた家まで道なりに滑走を続けるだろう。二 分後に同じことがビキニの身にも起こる。ぼくは枯れた蔦の危うさをとっさに警戒し快速を選んだ。そこでベルがとぎれる。スキー帽越しに頭上で風が動くのを 感じた一瞬後、くぐもった鋭いうめきを前方に聞いたぼくは振り落とされないよう肘掛けにぎゅっとしがみついて目をつぶる。血を見るのは好きじゃない。ドレ スを着た背中なら、生々しい矢創を見ずに済むことをぼくは知っている。

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歴史の最後のほうのできごと

 古い自動販売機で、消費期限を五年過ぎたコーラを買うのは私じゃなくソノちゃんだ。

 電気の通ってない自販機から、ジュースをいくらでも手に入れるすごい技術がソノちゃんにはある。

 私はというとゴムボートを骨の折れた日傘で漕いで、朝から焼け野原へ出かけて行ったきり。そこでへんな匂いのする灰をかきあつめて家をつくっていた。

 灰でできた家には誰も住むことができない。壁にちょっと背もたれただけで、風がひと吹きしただけで家のかたちを終えてしまうから。

 そんなはかない家はソノちゃんと住むのにぴったりだと思えたので、私は日が暮れるまで黙々と作業をつづけた。

 彼女がそれを気に入るとはとても思えない。きっと私がまた役立たずな妙なものをつくったといって、顔色を変えておこりだすだろう。

 あなた何。あなたは。お荷物?私の。お荷物?自分で、歩く気もないの。ねえ。

 私が泣きそうになりながら黙ってたり、へたな言い訳をするのを待って(私はいつもきまってそうなるのだ)ソノちゃんはにぎりつぶしたコーラ缶の角をつかって私をぶつのだ。

 どんなに手加減されたところで、切れやすくなってる唇はすぐに鉄の味をしはじめる。

 するとスイッチが切れたみたいに身体が無抵抗になる。きっとなるから。


 灰まみれの髪で夜の河のほとりに立つ若い女を、怖ろしいものとして想像したことはなかった。

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青春ゾンビアワー

 日本ではゾンビのうち七割がブルーカラーだ。
 彼らの朝は早い。太陽が低く、世間の大半がまだ日陰の中にある時分から、職人たちは現場に姿を現す。そして軽い冗談などを交わして笑い、腐った歯茎から汚い汁などを大量にこぼしながら、ぼちぼち仕事の準備を始めている。
 こうした毎日の見慣れた光景に欠かせないBGMが、ラジオの音声だ。
 彼らのうち、現場に一番乗りした若者が、たいていはラジオのスイッチを入れた。すると聞こえてくるのは、いつも決まって爽やかなDJのお喋りだった。
 ラジオのチューニングは、必ず同じ放送局に合わせてあった。これは一日中変えられることはない。いわば職人たちにとって暗黙の了解である。彼らは変化を 好まない。今日が昨日と同じ一日であること、それだけが、つねに危険と隣り合わせの仕事に従事するブルーカラーたちの願いなのだ。
 ラジオは、はじめは遠慮がちに小声で呟いている。そこへヴェテランの小松さんが現れてボリュームを上げる。それがいつもの決まりだ。するとラジオは、まるで公園で首輪のロープを外された犬のように嬉々として声をはずませた。
「……次の曲は柏市のヨダマサルさんからのリクエストです。ポールモーリア・オーケストラで『恋はみずいろ』」

「柴田コースケの青春ゾンビ・アワー」というその番組は、ブルーカラーたちの間で絶大な人気を誇っていた。DJの柴田コースケは、今時の浮ついた若者では なく、人生の辛酸をなめつくした初老の男だった。時々、マイクにぽたぽたと垂れる腐汁の音が、彼のお喋りに独特なテンポをもたらしている。彼は巧みに世相 への風刺を盛り込んだ話が得意だが、それは決して誰かを不快にさせるような偏りを持っておらず、普遍的なユーモアを獲得していた。まじめ腐った政治批判 や、度の過ぎたブラックユーモアなどによって、現場の人々を不安に陥れるようなことがない。見事に計算された喋りによって、彼は現在の地位を築いたのだ。
 たとえば「最近起きた企業連続爆破事件」について彼が語るとしよう。彼はまず、事実だけを簡潔に述べる。しかるのちに、ごく短くコメントをつけ加える。もちろん「物騒な事件ですね」など、誰もが納得できるコメントだ。
 もしも悲惨な事件の話だけを垂れ流し、その後にDJのコメントが加えられなかった場合、ラジオの前のブルーカラーはたちまち不安に襲われてしまう。かと いって、長々と本質的な論評が始まったのではたまらない。仕事中にも関わらず、全員が居眠りを始めるだろう。そこで彼は、短くて絶妙なコメントを述べるの だ。「物騒な事件ですね」。
「たしかに、物騒な事件だ」。ゾンビたちは、一瞬仕事の手を休めて、ラジオのスピーカーに向かってうなずくだろう。その時、すでにDJはさりげなく別な話題へと移行している。じつに自然な流れである。

 その日は、生放送中のスタジオでちょっとした異変が起こった。それを語る前に、あらかじめ断っておけば、放送局で働いている人間はゾンビばかりではない。彼らは必ずしもホワイトカラーではないが、じつに多彩な人々が放送局には集まっているのだ。
 たとえば、柴田がDJを務めるスタジオで、廊下や倉庫などをうろうろしている若い男。彼はいつも野球帽をかぶっているため、一見そうは見えないが、じつ は東大出のエリートだ。事情を知らない人が彼を見れば、誰もが忙しく立ち働いている仕事場で、ひとりだけ白昼夢にとりつかれたような顔でうろつく役立たず のデブ、の烙印を押しかねない。だが、エリートというのは一般社員のように目に見える仕事だけをこなすのではない。言ってみれば、頭の中が彼らの仕事場な のだ。
 この日も、彼は野球帽に守られた頭脳の中で、ある計画を練っていた。それは一企業の利益とか、一国の経済を超えた、ある人類規模の慈善事業に関するプロ ジェクトだった。計画はあまりに壮大で、エリートである彼自身にも、その全貌は知る由もない。彼はただ、この「金の鳩計画」を実現させるに当たって、いわ ばマシンの電源をオンにする係が自分なのだと痛感していた。
 はたして自分に、そんな大役が務まるのだろうか? 男は自問自答する。だが考えてみれば、東大を出た自分に果たせない任務を、いったい他の誰に任せれば いいと言うのだろう。彼は、一瞬でも責任の重さに躊躇した自分を恥じていた。そしてすっかり、エリートとしての誇りを取り戻し、威厳に満ちた顔つきになっ た。
 さっきから廊下を行ったり来たりしていた若い男が、突然ガラスを破ってスタジオ内に飛び込んできたので、DJは呆気にとられ、両目を白黒させた。男は訳 の分からないことをわめきながら、懐から取り出したピストルを乱射。数発がDJの体に命中し、イスごともんどり打って転倒する。止めに入ったディレクター もたちまち弾丸を浴びて即死した。
 男はマイクを鷲づかみにすると、全国民に向けて演説を始めた。
 だがその演説は、辞書に載っていない単語を大量に含むものだったため、内容を理解できた国民はひとりもいなかった。
 男はすべてのアジテーションを終えると、満足げな表情を浮かべてスタジオから出ていった。後に残されたのは、人気パーソナリティーとディレクターの血ま みれの死骸だけだ。だが心配はいらない。我らがDJ柴田コースケはゾンビだったではないか。無法者の去ったスタジオで、やおら体を起こしたDJは、すぐに 職業意識を回復してマイクに向かっていた。そして落ち着いた口調で語り始める。
「たった今暴漢が現れて、ピストルを発砲していきました。おかげでスタジオの壁が蜂の巣状態です。死亡者も出ています。じつに物騒な事件ですね。暴漢は、野球帽をかぶった若い男でした。野球帽と言えば、プロ野球もそろそろ春季キャンプのシーズンですが……」

 難解な演説を聞かされて、ラジオの前でパニック寸前になっていたブルーカラーたちの心は、ベテランDJの機転により見事救われた。誰もが気になるプロ野球の話題、今年のペナントレースの行方へと彼らの関心があっという間に移動したからだ。
 リスナーの要望を先取りした一流のテクニックが、彼を人気DJの座に君臨させている。まだまだ当分、若造には負けないだろう。

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