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Dr.STRANGELIMB【い】虐殺保安官

 破壊された商店街を西に歩く男がいた。
 うすい煙が瓦礫のあいだをゆらゆら上り、焼き場のような臭気が時おり鼻をつく。
 崩れたアーケード屋根に「駐車禁止」の標識が突き刺さり、略奪後の宝石店みたいにガラスが全滅した肉屋が、老主人の肉塊を店頭に放置してぐずぐずに腐らせている。ひどい匂いだ。
「レントゲン砲をモロに食らったみたいだ。顔がないな、前半分をごっそり持っていかれてる」
 男は現場検証の刑事みたいな独り言をつぶやきながら死体をまたぎこした。
「さすがにロボットのやり口は違う、正確で冷淡だ、食品工場並みだ」
 宇宙からの催眠音波は一晩中降り続け、町で今正気を保ち事態をまともに把握している人間は誰もいない、はずだった。だが男は、幼児期に両親から受けた虐待により脳の一部を破壊され、治療でインド象の脳を部分移植された経験が幸いしたらしい。
 この町でたった一人の理性は、西に向かっていた。
 目つきのおかしい女が路地からふらついて出てきた。アスファルトのひびに足をとられてよろめく。まくれ上がったスカートの下は裸の尻で、大便がエクレア のように一面へばりついている。薄い胸をかきむしりながら何か云いかけるが、言葉にならないらしい。よだれが水飴みたいに粘っこく糸を引いて顎から垂れさ がった。
 典型的な催眠患者だ、男は女の赤い頭を軽く蹴とばして路地に追いやった。
 尻もちついた女のまわりに見る見る水たまりがひろがる。
「発電所の自動運転はいつまで続くのだろう? 持って三日というところか。この町が本当に死に始めるのはそれからだ。まるで葬送の音楽のように、ゆっくり破滅が蔓延する。しかしそれを悲しむ能力のある奴は残されていない、看取る者のない臨終だ」

 男はプロレスラーとしてはさっぱり大成せず中年を迎えていた。肉体の衰えは彼を観光マッチの悪役スターの座からも引きずり落とした。
 ある晩、いつものように鞄ひとつ提げて通用口をくぐった彼にプロモーターはこう声をかけたのだ。
「エディ、今日は君が改心する記念すべき夜になる。お客は新たなヒーローの誕生に酔いしれるだろう」
 それは男にとって死刑宣告に等しい言葉。手に負えない悪党が正義の軍門に下り、しばらく従順な下僕として働いたのちにフェイド・アウト……それがこのアル中の田舎座長が使い回すお決まりのシナリオだ。
 とうとう自分の番が回ってきた……男は目の前が暗くなるのを感じた。
 与えられた仕事を大人しくこなせば、それでも半年は食いっぱぐれないはずだった。
 だが自暴自棄になった男はその日、ひなびた観光地の英雄相手に唐突にセメント・マッチを仕掛ける。
 必死で目で訴える若造を、鼻が曲がるほど殴りつけ血だるまにしたうえ、失神した相手に馬乗りになってパンツを膝まで脱がした。
「こいつはとんだホモ野郎でプロモーターとできてる」「リングじゃこの通り最悪の実力だが、穴の締まりはスッポン並みだ」そうわめいてリングを下りた。
 通路を引き上げるとき売店で売ってるアップルパイが二、三個背中に飛んできた。そのまま会場を飛び出てタクシーを拾う。突然裸の大男に乗り込まれた白髪の運転手は、冷めた小龍包みたいに顔をこわばらせていた。
 男はまず顔なじみの娼婦に金を借りようとアパートのドアを叩いたが不在。しかたなく別れた妻を訪ね、いくらかの金と上着を借りて聞くに耐えない罵詈を背中に浴びながら車に戻った。
「旦那、女どもの口はベッドでふさぐしか方法はない……て昔からね」
 ようやく運転手が声をかけてきたが、男は無視して皺だらけの札をかぞえはじめた。

 老人としみったれた商店主ばかりの赤ら顔の一団相手に、旧時代のギャング風に見得をきる権利さえ奪われた男は途方に暮れた。
 リングに立てない彼はただのでくのぼうでしかない。生まれてからまともに働いた経験はないし、若い頃短期間ではあるが、盛り場の用心棒で酒代を稼いだのが唯一の仕事らしい仕事だ。とりあえず旧知の賭博屋を何人か訪ね回ったところ、
「もう人間の仕事じゃないんだよエディ」
 そんな返事がかえってくるばかりだった。
「たしかに、人間の出る幕じゃない。これならイカサマ野郎のはらわたも三十秒で蒸発だろう」
 男は歩道に散らかった人間の残骸をつま先で転がした。肋骨の内側が見事にえぐりとられ、盗まれたように何もない。ライオンが食べ残しの獲物を放置したみたいに無造作、そんな死骸が電柱よりも頻繁に目につく。覗き込むと顔に熱気を感じた。
「まだ遠くないな」
 耳をすませれば、何も聞こえない。だが確実に足の裏につたわる断続的な振動。爆撃のような足音で今1キロ四方にあの発狂した機械が、酔客の足取りで物理学の死神が、不格好な殺戮のダンスを踊る。その気配を感じたとき、はじめて男の心に恐怖が芽生えた。
 だが男は西へ向かう歩みを変えない。たった今蹴とばした死骸は一週間前、リングで不様に失神した若造だった。田舎町のささやかな歴史は終わった。男は帰 るべき場所も、唾を吐くべき地面も残されていないのを知っていた。懐かしがるものさえ何もない。すべては紙切れのように空しい。
 “虐殺保安官”ピーター・モルガン。必殺技ネック・ハンギング・ツリー。

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