« 廻転 | トップページ | 外套のからっぽな博士 »

ダイヤル探偵の崩壊

 日本のどこかで悲惨な殺人が行われるたび、男の部屋の黒い電話機はリリリ……と甲高い音を立てる。
 使い込まれた古い電話機、通称殺人テレフォン。ダイヤルの穴のひとつひとつに、男の指紋が年輪のように刻み込まれた黒電話の受話器を、呼び出し五回以内で素早く取るのが彼のルールだった。
 そのために彼は、めったに外出などしないし、風呂にも入らない。いつ何時、この部屋で悲しいベル音が鳴り響くかわからないからである。じつに周到で、仕事熱心な男だ。
 考え事だって、一分以上することはない。男の頭の中はいつでも電話のために場所を空けられていた。
 というわけで、読書などもってのほか、彼は音声を消したテレビを散漫に眺めるくらいしか娯楽を知らない。とにかく部屋の中はつねに静寂を保つ必要があったのだ。
 だからニュース番組を見ても、キャスターたちは口をパクパクと開閉するだけで、情報は何も伝わらない。しかも画面に表示される文字は、ブラウン管が古すぎてひとつだってまともに読めないのである。
 そのかわりに男は、毎日のニュース内容を自由自在に空想することができた。借金苦で一家心中という暗いニュースを伝える画面を眺めながら、「長年の社会 奉仕活動を認められ表彰された親切一家が、政府から一億円をプレゼントされた。ところが親切一家はそれを全額、恵まれない人々に寄付してしまった。さすが は親切一家だ」という涙の出そうなエピソードに変換することができるのだ。
 だが、そうしたニュースにいちいち感動している時間は彼にはなかった。この国では殺人はつねに発生している。電話のベルは休むことを知らない。

 男の職業は探偵だが、ここに掛かってくる電話は、とにかく殺人事件のたびに鳴り響く例の電話以外にはまるでない。本当にひとつもないのだ。
 ここの番号を知っている人間は、この世に一人もいない。電話帳に掲載されていないばかりか、何しろ男自身だって知らないのだから。
 頭の中に番号がしまい込まれていれば、うっかりどこかで漏らしてしまう可能性がじゅうぶんにある。だから男は、もう二十年以上にわたってここに住んでいるけれど、未だに電話番号を覚えていない。
 番号を知っているのは、日本中でたった今殺された瞬間の人間だけだ。全国どこからでも彼らはたちまち男のところへアクセスしてくる。彼らの怨みと無念のドロドロした言葉を聞いてやるのが男の主な仕事だった。
 何しろ非業の死を遂げたばかりの人間が、たった一度だけこの世に心情を吐露する機会なのだ。ひとつ残らず電話を受けてやりたい、と男は思う。だが、複数の人間が同時に惨殺された場合、つながる電話はそのうちたった一本。ほかのやつらは話中で、無念のままあの世行きだ。
 そのことを思うと、男は残念さのあまり不愉快な気分になった。だからできるだけそんなことは考えないようにしている。

 リリリ……。1コール目ですかさず受話器をキャッチ。
「もしもし、ひまわり探偵事務所です」
 慣れた口調で電話に出る男。口元には薄笑いさえ浮かべていた。
「ええとあなたは……うんうん、なるほど。バールで脳天を一撃、叩き割られちゃいましたか。そりゃあ痛そうだ、内ゲバというやつですね。ふむふむ、そいつ は又お気の毒。革命の志半ばにして、この不正の蔓延る世間を放ったらかしのまま死ぬなんて、さぞかし無念でしょう、お察ししますよ。……おやおや、しかも あなた死ぬまで童貞だったとは! それでは現世に未練も尽きまいというものだ、心から同情を禁じ得ません。でも、じつはね」
 ここで突然、男は声をひそめた。
「……私も童貞なんですよ。仕事があまりに忙しくってね、なかなか女性と知り合うチャンスがないんですな。仕事にしか興味がないとか、堅物のマジメ人間と いうわけじゃないんですが、ついつい奥手で、この齢にまでなってしまいましたよ。だけど仕事はずっとこの通り多忙を極めていまして、当分女にうつつを抜か す暇はなさそうです。まったく、どうして人がこんなにいっぱい死ぬんでしょうねえ、私は一体いつまでこの作業を続ければいいのだろうか」

 神社の境内には十人ほどの若者たちが集まり、神妙な顔で車座になっていた。何人かは金髪で、またシャツからむき出しの肩に入れ墨の見られる者もあったが、それでもどこか草食動物のように優しい目をしている。
 リーダー格らしい小柄な男がひょっこり立ち上がった。
「それでは、今夜の怪談会を始めたいと思うんだけど、心の準備はいいかな? もし、怨念を残しちゃってる死人に祟られたとしても、責任はとれないからね。 それがいやなら今のうちに帰ること、あとで文句は言いっこなしだよ。……それじゃあ最初は、黒メガネのタカシ君、よろしく」
 指名された気の弱そうな少年の方へ、一同の注目が集まる。少年は女性のようにしなやかな指先でメガネをずり上げた。
「それでは、前座をつとめさせてもらいます(一同笑)。いやいや、本当に怖い話はナガシマ君あたりにお任せして(笑)、ぼくのはそんなに怖くないですか ら。……これはぼくが知人から聞いた話です。その人は学級委員なんかもやっていて、信用できる人物だと思うんだけど。彼がある日、親類の葬式に行ったとき のこと。親戚一同マイクロバスに乗って、火葬場に向かう途中でした。車内で、故人の昔話が始まったんです。死ぬまで独身だったけど、彼にもいい人はいたの かなあ、なんてことを故人の従兄の皺だらけの老人が呟いたり。しかも言い終わる前に入れ歯がぽっかり外れたりして、バスの中は笑いに包まれていました。
 そういえば、と言って、故人の姪に当たる中年女性が口を開きました。××さん死ぬ間際に、どこかに電話してたことがあったみたい。いえいえ、もちろん寝 たきりだからロビーに出たりはできないんだけど。寝言みたいにね、もしもし、もしもしって何度も口にしてたわよ。ベッドの上で。だから私耳元で、もしも し、て答えてあげると××さん、目をつむったままニッコリ微笑んで、たしか、ひまわり探偵事務所です。ってか細い声で呟いたの。いったいどんな夢見てたの かしらね、と中年女性は懐かしそうに目を細めて語ったので、バスの中は、故人のユーモラスな人柄を偲んで柔らかな空気で充たされました。そして火葬場まで 笑いが絶えなかったそうです。おわり」
「おいおい、それのどこが怪談なんだって」
 リーダー格の男が頭を抱え、あきれ顔で訴えた。その場にいた全員が、とまどいの隠せない表情でメガネの少年を見つめていた。
 まずいことだ。ここで白けムードが広がると、今夜の怪談会は台無しだ。そう判断したリーダー格は、少年を責めるより、早く場の空気を変えた方が得策だと瞬時に判断したらしい。
「……でもトップバッターにふさわしい、ハートウォーミングな話題だったってことは言えるよね。じゃあ、次はチハルちゃんの番ってことで、とびきり寒くなるようなのをひとつよろしく」

「はい、ひまわり探偵事務所です」
 今日もその部屋に電話のベルは響きわたる。「バールで脳天を一撃、ですか。ははあ、それは気の毒だ。内ゲバというやつですね」
 男の頭から、細かい霧状のふけが飛んで机の上に積もっていく。まったく、こう殺人ばかり多いと人類はそのうち滅亡してしまうのではないか? その前に、私もぜひ恋人をつくりたいものだ……。
 男は不覚にも、ついぼんやりと考え込んでしまった。そのために、電話の声を聞きそびれてしまったようだ。
「えっ何だって? もしもし」
 ツーツーツー。死者はすでにあの世へ旅立ったらしい。悲惨な殺人の犠牲者が無念の思いを吐き出す電話。理不尽な死を嘆き、呪詛の言葉をつぶやくための唯一のダイヤル。こんな大事な電話を、はたして素性の怪しい探偵一人にまかせておいていいのだろうか?
 そう考えると私は、今夜もまた眠れなくなるのだ。

|

« 廻転 | トップページ | 外套のからっぽな博士 »

小説(ショートストーリー)」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/504612/9231089

この記事へのトラックバック一覧です: ダイヤル探偵の崩壊:

» 借金相談 [借金相談 問題解決web情報]
借金相談 ●問題は一人で悩んでいるだけでは解決しません。まずは専門家に無料相談してみてはいかがでしょうか?消費者金融(サラ金)での借り入れの初心者の人や,消費者金融(サラ金)に興味のある人に是非見てもらいたいものが,借金相談 サイトです。借金相談 サイトでは,初心者にわかりにくい消費者金融(サラ金)用語などの消費者金融(サラ金)に関する知識を載せているので,消費者金融(サラ金)を利用しようとしている人はまず借金相談 サイトで勉強してからの利用が良いでしょう。消費者金融(サラ金...... [続きを読む]

受信: 2007/12/11 12:51

« 廻転 | トップページ | 外套のからっぽな博士 »