« 噂は値札のように | トップページ | 不潔な女からの手紙 »

霧の坂道はくちぶえの中

 バス停として道端に置かれているのは等身大の若い男の姿をしたマネキン人形である。停留所の名前はマネキンにつけられた名前(モデルになった人物 から何の迷いもなく譲り受けられたもの)がそのまま使われているのでバス停らしくない。口にすると誰かの噂話を始めるような心持ちにさせられるし、私たち にとって会話にまぎれこませにくい困った名前ばかりだった。

 車内アナウンスが次の停留所を「サトウマサオ」だと告げると、それ が私の降りる予定の場所(佐藤正男)だと気づいて降車ボタンに指をふれたまま、誰かがブザーを鳴らすかもしれないという期待をまだ捨ててはいない。間のあ いた車内であきらめてまるでサトウマサオに一票を投じるような納得のいかない、タイミングの遅れた分だけ気まずいブザー音を鳴らすとすでにバス停が間近 だったらしく、バスは急に減速すると歩道のガードレールの切れ目に寄せて身を震わせて止まった。

 歩道に降りてきた客は私のほか に二人つづいた。私はまんまとこの三人の代表をつとめさせられたことを悟ったのだが、民家の庭木の影をからだの半分に受け止めて信号待ちのサラリーマンの ようにたたずむ佐藤正男の人形は、はにかんだような笑みから白い歯を覗かせていて私の気に入るものだった。白い歯は排ガスのせいで黒ずんでいたけれど十分 に白い歯に私には見える。離れて暮らしている年の離れた弟に似ているところがなくもなかった。不慣れなよそものに恥ずかしい役目をおしつける、狡猾な人た ちのことも弟なら笑って問題にしないだろう。ほかの二人の客はそれぞれ知り合いではないらしく、坂道を別方向へ無言のまま歩き出していくのを私はバスの窓 から遠ざかるバス停よりも無関心に眺めた。

|

« 噂は値札のように | トップページ | 不潔な女からの手紙 »

小説(超短篇)」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/504612/9294493

この記事へのトラックバック一覧です: 霧の坂道はくちぶえの中:

« 噂は値札のように | トップページ | 不潔な女からの手紙 »