手首
中学の同級生だったカオリさんが死んだのは去年の秋でした。
死んだのは線路の上です。貨物列車が通り過ぎたあとに残ったのはバラバラの部品に分かれたカオリさんの体でした。 ただ左の手首から先だけがどこにも見あたらなかったそうです。
このことについては少し思い当たるところがあります。
教室のカオリさんはいつもつまらなそうな顔でした。クラスのみんなが先生の話に笑ったり私語に夢中になっている時も、カオリさんの目は天井や床や窓の外をうろうろとさまよっている感じで、彼女の頭はきっとこの教室の中にはないのだなと思いました。
なんでこんなこと知っているのかというと、ぼくはカオリさんのことをとても気にしていたのです。
好きだったのかも知れません。
高校時代も一度だけカオリさんに会ったことがあります。そのときカオリさんは背の高い女の子といっしょに町を歩いていました。
手をつないでいました。ぼくはすぐにカオリさんだと気づいたのですが、なんとなく声をかけづらくてそのまま歩いていきました。暑い日でした。アスファルト
に陽炎のたちのぼる午後でした。地下鉄の階段を下りようとしたところ、後ろから女の人の声がしました。
「久しぶりね何してるの」
振り返るとカオリさんと背の高い女の子が立っていました。手はつないだままです。ぼくはどんな顔をしていいのかわからず、結果ろくに返事もできませんでした。けれどカオリさんはおかまいなしに話しかけてきます。横には背の高い女の子がすました顔で並んでいます。
「ねえイリチくんこの人誰だと思う? この人あたしの言うこと何でも聞くのよ。この人には意志がないの。すべてあたしの思いどおりなの。いいでしょう。とてもかわいくておりこうなのよ。ほらちゃんとおじぎしなさい」
背の高い女の子はちょこんと頭を下げました。思わずぼくもおじぎを返しました。その後で何ともいえない変な気持ちでカオリさんと女の子の顔を見比べまし
た。顔だちは違うのにマネキン人形のような表情が姉妹のように似ています。カオリさんは女の子の手をにぎったままの左手をみせびらかすようにして言いまし
た。
「こうして手をつないであげると安心するのよ。この人は意志のない人だからかわりにあたしの意志をこうして手のひらから分けてあげているの。だから一日中ずっと手をつないであげているの。ほらこうして絶対とれないようにしてね」
見るとカオリさんの左手は穴をあけてちいさなチェーンが通してあり、そのもう一方の先が女の子の手のひらに刺さっていました。
そうしてチェーンは二人の手のひらを貫いて輪をつくっているのです。ぼくは複雑な気分になりました。見てはいけないものを見てしまったような、困った気持ちになって思わず目を伏せたことを覚えています。
「それじゃあたしたち行くからね」
じつはカオリさんがバラバラになって死んだ日、ぼくは久しぶりにあの背の高い女の子の姿を見かけていたのです。地下鉄が地上を走っている駅のホームで、女の子は相変らずマネキン人形のような顔でひょろりと立っていました。
女の子は何かをくるんだ包装紙のようなものをひとつ手に抱えていました。ときどき紙を少し開いて、中身をつまみ出すとポリポリと噛っているようなので
す。ぼくは隣りのホームから眺めていました。電車が幾度となく発着を繰り返しましたが、人込みが切れると女の子はいつもそこに立っていて、同じようにポリ
ポリと何かを噛っているばかりです。手にした包装紙から小さな細いものがこぼれ落ちるのが見えました。瞬間キラリと光ったそれがあの時のチェーンに見えた
のは、単にぼくの気のせいだったのかも知れません。
だけどその時すでにカオリさんが電車に轢かれていたなんて、ずっとあとになって知ったことなのです。
あの暑い日の午後に会ったっきり、カオリさんと女の子がその後どうしていたのかぼくはまったく知りません。でもカオリさんにとって背の高い女の子は宝物
だったと、ぼくはあの日のカオリさんを思いだすたびに思います。そしてたぶん女の子は、すべてカオリさんの望むとおりにしてあげていただけなのだと思うの
です。
だってあの背の高い女の子には、意志というものまるでがないのですから。
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