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雨で血が止まらない

 新しい世界が始まった。目を開くと太陽が眩しい。耳には子供たちのはしゃぎ声。鼻にはバラの香り。そして夏の午後は涼しげな風が、冬の夕べには優しい火の温もりが。
 私は夢のように高揚した気分で家を出た。新品のサンダルの立てる足音が、目の前にひろがる風景に句読点を打っていく。まるで書かれたばかりの小説を読む ように、私は散歩を楽しんだ。道はくねくねと予想できない方向へ曲がり、スリルが生まれる。まったく先が読めない。今ほんの鼻先に現れた郵便局が、気がつ けば遠い丘の上にシルエットを見せる。いい匂いのする街路樹を抜けると、見事な滝の落下する崖へ。そして隣町やその隣町まで続く広大な地図のようなパノラ マ。私はひとまずここに座り込んで、友人に手紙を書こうと思った。
「前略 今君がどこにいるか、ぼくの知ったことじゃない。たとえ地獄や刑務所であろうと、同じだ。それより聞いてほしい。ぼくの素晴らしい生活のことを。 ひとつはドクロ吉田というプロレスラーについてだが、彼の栓抜き式ヘッド・ロックが正真正銘の必殺技だったという驚き。彼はこの悪い冗談で、本当に一人の レスラーの頭蓋骨を破裂させてしまった。脳味噌の飛び散る瞬間がテレビで生中継され、社会問題になった。最悪だ。死んだハンマー杉田には気の毒だが。それ からもうひとつ。近所に目を見張るようなコンビニを発見した。店を入ると左手にレジがある。だが店員の姿はなく、かわりに七面 鳥と孔雀が歩き回っている。手前の棚は普通のコンビニだが、奥に行くとパンダを殺すための薬品や、指紋で石油を掘る機械、美女の写 真、ニセ札などが売られている。ぼくは大喜びで翌日も出かけたが、すでに潰れていた。君が昔住んでいたアパートの近所にも、似たような店があったね。もっ ともあれは床屋だったけれど」
 手紙を投函しようとして私はようやく気づく。郵便局は丘の上だ。引き返すのは面 倒に思える。それに今日は妻の命日だから、夜になれば亡霊が現れるはずだった。年々ひどい姿に変わっていく妻は、枕元でぶつぶつ聞き取れない言葉を高圧的 につぶやくだろう……。腐った皮膚から枯れ草のように抜けた髪の毛が、顔のうえに落ちてきて私は身動きできない。もうじき日は沈む薄暗がりの静寂。死者を 悼む笛のような汽笛。私は憂鬱になっていた。そんなじめついたすべては暗い過去のほうからやってくるのだ。風に混じる土の匂い。いつのまにか雨が降り出し て私は濡れている。死人の手のように冷たい髪の毛が額に垂れ下がる。
 私はポケットから鍵を取り出した。人肉で出来ているとしか思えない、生温かい鍵だった。おもむろに作業ズボンを膝まで下げると、私は本来なら性器のある べき部分にぽっかりあいた鍵穴にそれを慎重に差し込む。鍵が底をつきとめたところで、たしかな手ごたえとともに右へ回転。すると目前の景色が同時に右へぐ るりと移動し、まったく異なる風景がたちまち左方向から入れ替わりに出現する。まるで年号が変わる瞬間のように劇的に。にわかに遠ざかる雨音。つぶやくよ うな雨音……
「新しい世界が始まった。目を開くと太陽が眩しい」

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