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ラジオ

 受験生活の大切な伴侶であったラジオ。中学時代から愛用した、短波も入るラジオ受信機だったが、大学生になって最初の夏が終る頃には、本棚の上で無残にホコリをかぶっていた。
 この春中学生になった妹がそれを見つけて、貸して欲しいというので預けたのだ。
 以来妹は、最近熱を上げている男性歌手××の番組を、毎晩夜更かしして聴いているらしい。隣の部屋から深夜、ぶつぶつと話し声が聞こえてくる。かと思えば突然笑い声が起こったり、それは私にはすでになつかしい、深夜放送の空気だった。
 だが妹は、夜更かしにはまだ慣れない様子である。ラジオを預けてからというもの、すっかり妹の寝起きが悪くなった。時間ギリギリにやっと寝床から這い出してくる彼女は、いつも目の下に大きな隈をつくっていた。
 母親に小言をいわれながら、パンダのような顔で毎朝家を飛び出していく。

 今夜も壁のむこうで話し声がする。時計を見ると一時を回っていた。
 妹の部屋から聞こえてくるのは、ふたりの人間の会話なのだが、どうやらラジオの声だけではないようだ。ラジオのパーソナリティーと誰かが会話しているように聞こえるが、話し声のうち一方はたしかに妹の声だ。私は少々あきれた。
「おまえ毎晩、電波の××くん相手にお話ししてるのかい」
 翌朝、いつものように遅刻寸前にようやく食卓に現れた妹を、私はそうからかってみた。
 すると妹はあくびまじりに首を横に振る。何言ってるの、という顔つきだった。
「だっていつも、番組始まる前に眠っちゃうもん。あー悔しい、きのうも聴けなかった。結局、まだ一度も聴いたことないのよね、××さんの声!」
 私は首を傾げた。「だっておまえ、ゆうべだって夜中にラジオつけてたろう?」
「聴いてないってば、ちょっと何言ってるの?」
 結局私が寝ぼけて幻聴を聞いたことにされてしまい、妹は学校へ出かけた。

 腑に落ちないまま、その日も夜が来た。
 午前一時、壁越しにいつものようにラジオの声が聞こえてくる。
 声はどう考えても妹の部屋から聞こえていた。男女の声が交互に響いて、女の方はまぎれもなく妹の声だった。
 私は廊下に出ると妹の部屋のドアにそっと耳をあてた。
 壁越しに聞くよりも、言葉がはっきりと聞き取れるようだ。
 ラジオのパーソナリティのお喋りにこたえて、妹が何か話しているらしい。
「……そうなのよ、いやになるでしょうまったく……うちのお兄ちゃんおかしいのよ、夜中に妹の部屋に聞き耳たてるなんて変態でしょう……二十歳にもなって 彼女もいないみたいだし、最近目つきがおかしいんです。私の体を横目でじろじろ見るし……留守のあいだ部屋に忍び込まれてるような気もする。机の上の、物 の位置が微妙に変わってるの……もしかしてこのラジオだって、盗聴器とか仕掛けてあるんじゃないかしら? そういえばあんなケチなお兄ちゃんが、すんなり 貸してくれたなんておかしいと思ったもん……」
 聞き耳を立てながら、私は怒りで全身から血の気が引いていった。
 思わずドアをノックすると、妹の声がやんだ。
 返事はない。
 もう一度ノックした。ドアの向こうで、妹は黙ったまま動く気配もなかった。私はノブに手をかけて、ドアを開けるべきかどうか迷った。すると妹はラジオのボリュームを上げたらしく、今度は聞き覚えのある若い男の声がけだるいトーンで聞こえてきた。
「……お兄さんは多分、キミに欲情してるんじゃないかなあ。そんなことって、よくあることだよね。思春期を迎えた妹と、もてない兄との陰惨な性的関係。……お兄さんはキミが大人になったもんだから興奮してるのさ、こんなに身近に無力な異性がいることを……」
 くせのある喋り方はたしかに××の声だ。何度かテレビの音楽番組で聞いたことがある。××はまるで妹の目の前で直接話しかけるように喋り続けた。
「……それでお兄さんは、壁に耳をあてて、キミの着替えや寝顔を想像していやらしいことをしてる。とてもいやらしいことをね……それ以上はちょっと言えな いな。同性のボクとしてはね……ふふふ、それからいいことを教えてあげよう。お兄さんは今、キミの部屋のドアーに耳を押しあててるところだ、そして君の とっておきの秘密を知ろうとして必死に耳を澄ませているのさ。……どうしようもない変態男だ……そんな男を兄に持ってしまったキミに、ボクは最大級の同情 を感じているよ。だからキミはそっと近づいていって、いきなりドアーをあけてごらん。そしたらお兄さん、あわててファスナーをずりあげて、大切なものを挟 んで悲鳴を上げるかもしれないぜ、これはちょっとした見物だろう、ほら早くドアーをあけてみな、今すぐに」
 音もなくドアは開いた。私は唖然として妹の姿を見つめた。
 電気の消えた部屋の中で、妹はベッドの上にちょこんとこちら向きに座っていた。
 廊下の明かりが妹の顔をうっすら照らし出す。妹はびっくりしたような顔つきで両目を大きく見開いていた。
 ところが妹は、どうやら私が目の前にいることにまったく気づいてないようだ。見開いた目は人形みたいにあらぬ方向を見てじっと固まっていた。恐る恐る私 が声をかけると、視線をこちらに向けようとゆっくり移動するのだが、目玉は私を素通りしてまたどこか別のあらぬ方向を見て止まってしまう。
 私はそっと部屋に踏み込んだ。
 ラジオは机の上にあった。電源ランプが消えている。
 ほかに音源になりそうなものはどこにも見あたらない。
「ほらごらん、お兄さんはかわいそうに呆然と立ち尽くしているじゃないか。妹のプライバシーを覗き見ようとしたことがついにバレて、禁断の性欲が白日のも とにさらされて、もはや言い訳もできやしないお兄さん。どうしていいかわからないのさ。……お兄さんはいま気が動転しているから、何をしでかすかわからな いよ。放っておけばもうすぐキミの首を絞めに来るんじゃないかな。たいへんだ、キミのお兄さんはきっとキミの首をぎゅーっと絞めに来るぞ、変態の兄がキミ の首をぎゅーっと力いっぱい絞めに……」
 私は妹の両肩をつかんで激しく揺すぶった。しっかりしろ、しっかりしろと言いながら何度も肩を揺すぶると妹は「ぴー、きゅるきゅるきゅる、がーっざ ざーーっ」とラジオのチューニングを回すときのようなノイズを口から発したあと、ばたんとベッドに倒れ込み、そのまま静かに寝息をたてはじめた。

 翌朝。いつものように目の下に隈をつくり、妹は時間ギリギリに食卓に現れた。
 私の前に座ると、私の目を見て憤懣やるかたないといった調子でまくしたてた。
「もうアッタマきちゃう。だってゆうべはぜったい聴こうと思って、コーヒー三杯も飲んだのにやっぱりダメだった! どうしてあたしってすぐ寝ちゃうんだろう、子供じゃないのに。……気がつくと朝なんだからもう。あーいつになったら聴けるのかなあ××さんの声……」
 そしてものすごいスピードで牛乳を飲み干すと、ニカッと笑った。時計を見てあわてて玄関を飛び出していく。
「ほんとにあの子ったらしょうがないわねえ、毎晩遅くまで何してるのかしら」
 台所で母親があきれたようにブツブツとつぶやいている。
「ラジオ聴いてるんだよ、あのくらいの齢の子はみんな」
 私は食後の煙草をふかしながらそうこたえた。

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