« 手首 | トップページ | 死面疽 »

部屋にいる子供

 あんまり知らないんですよぼく、怖い話って。
   だから皆さんみたいに、身の毛のよだつようなオソロシイ話はできないんですけど……じゃあひとつだけ、人から聞いた話なんですけどね。
   ええと、うちの店の常連客で、石黒っていうヤクザがいるんです。
   その人がね、お化けを見たって言い張るんですよ。本当かどうか知りませんよ、うちみたいなカレー屋で、飯食ったあと二時間も雑談していくんだから、ヒマな人には違いないんだけど……。
   その日石黒さんは三時半頃店に来て、ほかに客のいない店内でメンチカツカレーを注文しました。そして青い顔して言うわけです。
   ついさっき幽霊を見ちゃったって。
 石黒さんの住んでるのはアパートの二階で、そこはうちの店から歩いて五分くらいのところにあります。彼が引っ越してきたのは一昨年ですから、もうそれな りに長く住んでるわけですが、あまり地元の情報には詳しくないですね。近所の人とも全然交流ないみたいだし。なにしろ見るからにカタギじゃない顔してます からね、あの付近で何か事件が起こると、きっと犯人はあの人に違いないって必ずウワサになるんですよ。本人は知らないみたいですけど。
 うちの店には引っ越して間もない頃からよく顔を見せて、カレー好きみたいでね。はじめは私も緊張しましたけど、ご飯の一粒も残さずきれいに食べる人で、 だんだん好感持ったんで、ちらっと「いつもありがとうございます」なんて話しかけたんです。そしたら石黒さん、途端にぺらぺらとしゃべり始めて、それから は毎回、わざわざ空いている時間にやってきては、長話をしていくようになったんですよ。
 で、このあたりに安い床屋はないかとか、最初はそんな話をしてたんですが、そのうち彼のお父さんの実家のサクランボ農園の話だとか、酒が弱くてビール一 杯で熟睡するとか、ご自分のことも色々話してくれるようになりまして。私なんてもう、自分の女房とかよりも、石黒さんの身の上のほうに詳しくなっちゃっ た。そんな感じなんですけどね。
   そうそう、それで石黒さんの住んでるアパートなんですが、じつはちょっと因縁のあるアパートなんですよ。……ちょっとじゃないか。かなり、かな。
   今から十年くらい前ですけど、新聞にも載った事件で、小学生の女の子が義理の父親に殺された事件って覚えてます? あれの舞台になったのがじつはそのアパートなんです。
 殺された女の子は押し入れに一年間押し込めっぱなしで、近所でも変な匂いがするって評判になってたみたいです。それから最近やたらハエが多いってね。犯 人の男は妻に逃げられて、女の子と二人暮らしだったんですが、子供の姿が見えなくなっても近所の人は「きっと親戚が引き取ったんだろう」って思ってたみた いです。
  「そのほうがあの子にも幸せだ」なんて言いながらね。
 発見された死体は、干からびてほとんどミイラみたいだったそうです。義父に首を絞められた時の表情なんでしょうか、物凄い形相のまま死体になっていたと 聞いてます。立ち会った警官が恐怖のあまり寝込んじゃったとか、それはパーマ屋のおばさんが言ってたのかな。だとすればあんまり当てにはならないけど。
   とにかくまあ、そんな事件があったわけですから、事件後の部屋はしばらく借り手がつかなかったみたいです。アパートのほかの部屋の住民も、歯の抜けるように出て行っちゃって、ほとんど廃虚みたいになってた時期もありました。
   その後外壁や内装を全面的に改装して、建物の名前も変えてしまったんです。なんだかすっかり洋風な名前になっちゃいました。
   で、事件から一年以上経つ頃には、ふたたび部屋も埋まって、それからは何事もなかったように月日が過ぎました。私もいったい何号室で事件があったのかすっかり忘れてましたし、改装工事のあと、部屋   番号も振りかえてしまったみたいですね。事件に関する世間の記憶を撹乱しようというわけでしょうな、大家としては。
   ところがですね、ええとこれは電気屋のオヤジに聞いた話なんですが、出たらしいんですよ、その部屋に。
   幽霊です。殺された女の子らしい人影が、部屋の中をさっとかすめるのを見たんだって。それをクーラーの出張修理に出向いた、電気屋のオヤジが見てしまったと。
  「急いで修理済ませて帰ってきたけど、帰ってからようく思い出したらやっぱりあの部屋なんだよ事件があったのは。もう二度とあのアパートには入りたくない」
   なんて言って、ブルブル震えてるんですよ、いい年した禿頭のオヤジが。
   私はまあ気のせいじゃないかって思ったんですけどね。
 ところがそれから半年くらいすると、今度は集金に行った新聞販売店の人が見てしまったらしい。例の部屋の、玄関でお金を受け取っているとき、部屋の奥で ちょろちょろ動く影がある。誰かいるのかなあと思って何の気なしに見てると、小さな女の子が押し入れから這い出そうとしてるところなんです。
   すっかり血の気の引いてしまった彼は、口をあんぐりあけたまま動けなくなった。
   それで部屋の住人からは「どうしたんですか?」って心配されちゃって、思わず今見たものを正直に話してしまったらしいんです。
   それから、このアパートでかつて殺人があって、殺されたのは女の子で、場所はたぶんこの部屋なんじゃないか、ということまで全部。
 住人(若い男だったそうです)はそのときは笑いながら、「そんな馬鹿なことあるわけない、今まで住んでいて何も見たことないですよ」なんて言ってたらし いですけど、それからすぐに彼は引っ越してしまった。こういう話聞いちゃったら、ちょっと住んでられませんよね普通。
   次に部屋を借りたのもやはり事情を知らない人だったらしいです。まあ当然でしょうか。
   ただその人は宗教やってる人みたいでした。なんたら言うモダンな名前の教団の女性信者で、夜中にブツブツつぶやく声がするって、はじめはそれが幽霊だと勘違いされたみたいです。近隣の人たちからは。
   ほんとは何か経文みたいのを唱えてた声らしいですよ。まあそれにしてもじゅうぶん周りからすればブキミですよね。あの部屋はやっぱり祟られてる、だからあんな変な人が住むんだ、なんてウワサされてました。
   私に言わせれば、祟られてるっていうより、みんなが住みたがらない部屋ですからね。入居審査も甘くなって、普通なら断られそうな人でも借りやすいってことだと思うんですけど。
   実際、アパートの住民全体を見渡しても変った人が多くなりました。いわゆる堅実なサラリーマン風は一人もいなくなったかな。平日の昼間からウロウロしてる人が多いし。
   そんなわけで、ヤクザの石黒さんもそのアパートに部屋を借りることになったわけです。
   お察しの通り、彼が借りたのは例の部屋です。石黒さんと話をするうちに、そのことは薄々勘づいてはいたんですけど、黙ってましたよ。あまり度胸のありそうな人じゃないから気の毒だし、それにやっぱりちょっと、言うのに勇気いりますよね。
   それなのに、引っ越してから一年半も経ったその日、突然彼が幽霊を見たなんて言い出すからびっくりしたというわけです。
   石黒さんは明け方頃ふと目を覚まして、便所に行きたいと思って布団を出たそうです。そしたら押し入れのフスマが十センチくらいあいている。べつに何とも思わずに用を足してふたたび眠って、朝になって見ると今度はぴったり閉じていたって。
   はじめは寝ぼけたかと思って、いやもしかして泥棒じゃないかと思い直した石黒さんが、意を決してフスマをあけると、中には小さな人影がちょこんと座っていました。
   石黒さんは失神してしまったそうです。気づいたときは昼過ぎで、もう押し入れには何もなかった……。
   カレーを食べ終った石黒さんはすっかり暗い顔になって、あれは祟りに違いないって言うんです。すべてを教えてあげようと決心した私をさえぎって、彼はいつもと違う沈痛な声で、ぽつりぽつりと語り始めました。
   俺はヤクザだけど人殺しは一度しかしてない、それはじつは幼稚園の時なんだって。
   幼稚園の同じ組に好きな女の子がいて、石黒さんはいつもいじめてばかりいたそうです。その日のプールの時間、いつものようにいたずらっ子ぶりを発揮した石黒さんは、女の子の背中を見つけると、うしろからプールへ思いきり突き飛ばしてしまった。
 それがあまりに突然だったせいか、幼児向けの、浅い水たまりみたいなプールなのに、本当は泳げる子なのに、女の子はおぼれてしまった。幼い彼がただ呆然 と見守る中、異変に気づいた保母さんにようやく助け上げられた女の子は、すでに体が冷たくなってて、病院に運ばれても二度と目をあけなかったんだそうで す。
   その後、石黒さんの一家は逃げるように別な町へ引っ越してしまったので、石黒さん自身は一度も女の子の墓参りをしてないんだって。
   そのことは、やたら気に病んでましたね。
   きっとあの子に違いないって、彼は言うんですよ。ちょうど今頃の季節だった、あれから三十年以上経つけど、いまだあの子は俺を恨み続けて、浮かばれてないんだって。
   ……どうしたもんだと思います? ええとつまり、石黒さんにあの部屋の因縁のことを、教えてあげるべきかどうか、なんですけど。
   いったいどちらの幽霊だったほうが、彼にとっては幸せなんだか、不幸せなんだか。
   罪悪感に苦しんでるのは、見ていてすごく気の毒なんですけどね。
   かといって、あんなに真面目に悩んでるところへ、水を差すようなこと教えるのも何か気が引けるというか……相手は店のお客さんなんだし……それに……
   やっぱりヤクザだから、ちょっと怖いし。

|

« 手首 | トップページ | 死面疽 »

小説(怪談)」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/504612/9231617

この記事へのトラックバック一覧です: 部屋にいる子供:

« 手首 | トップページ | 死面疽 »