小説(怪談)

着信

 南さんが出張から帰ってくると、マンション前の道路に花が供えてあった。
 事故かな? 車なんて大して通らないのに。そう思いながらボタンを押してエレベーターが降りてくるのを待った。
 携帯が鳴ったので見ると彼氏からだ。
 今から行ってもいいかというメールだが、ホテルでよく眠れなかった南さんは、とにかく今日は帰ったら速攻で寝ようと決めていた。
 返信したところで八階に着きドアが開いた。
 南さんの部屋は通路の奥にある。途中の蛍光灯が切れかかっていてちらちら点滅していた。
 廊下の突き当たりの壁に小さな花束が立てかけてあるのに気づいた。南さんの玄関の目の前だ。
 まさか。たちまち道路の花束との関連を理解した南さんは、彼氏の訪問を断ったことを後悔した。
 やっぱり来てもらおう。そう思って携帯を取り出すと、南さんが掛ける前に着信音が鳴り出した。
 彼氏からだ。
「今電話しようと思ったのよ」
 するとむっとした声が返ってくる。
「家の電話壊れてるの? ぶちぶち切れちゃって、こっちから掛けてもつながらないし……」
 南さんは何のことか分からなかった。
 鍵を開けて玄関に入りながら詳しい事情を聞いた。
 彼氏によるとメールした直後、南さんの自宅から着信があったという。出るとすぐに切れるを繰り返し、自分から掛け直してもやはり切れてしまうのだという。
 電話はしていない、今帰宅したばかりだと南さんが説明しても「間違いなくお前からだった」と言い張った。
 不機嫌な彼氏をなだめてとにかく部屋には来てもらうことになった。
 部屋の電話はテーブルの上にある。
 あんなことを聞いたばかりだから、電話の近くにいたくなくて窓際に椅子を置くと、テレビの音量を上げて彼氏の到着を待った。
 そのせいで南さんは気づかずにすんだのだ。
「記録が残ってるはずだから見てやる」
 着くなりそう呟いた彼氏が受話器の下にそれを見つけた。
「虫かと思った」
 菊の花びらだ、と南さんにはすぐ分かった。
 ドアの外にあった花だ。

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タオル

 Aさんが以前住んでいた家は、墓地と墓地のあいだに挟まれるように建っていた。
 田舎で庭がかなり広かったし、どちらの境界も常緑樹の枝葉で目隠しされていたから、とくに気になることもなかった。家の前の道は未舗装で、バス通りから畑を抜けて公民館の裏までをつないでいた。畑仕事に行く人以外ほとんど歩く人はない。
 ある年、原因は不明だが墓地とのあいだに生えていた木がすべて枯れてしまったという。
 すっかり見通しがよくなり、Aさんの勉強部屋がある二階の窓から墓の様子がよく見えるようになる。
 蝉の声がはげしく聞こえていた。Aさんは夏休みの宿題がなかなかはかどらず、ぼんやり外を眺めていた。
 気がつくと、となりの墓地に人影がある。草むしりに来ているらしく、首に白いタオルをかけた人が腰をかがめているのが見えた。こちらに背を向けて、体の半分くらいが墓石の陰に隠れている。
 何か変だな、とは思ったが、どう変なのか最初はAさんにもわからなかった。
 腰を折り曲げた男の人、だと思ったそれは、よく見ると墓石の側面から上半身だけがはえているのだった。
 Aさんは悲鳴を上げ、階下にいる母親を呼びながら部屋を飛び出した。
 けれど階段の手前の廊下の窓から、反対側の墓地の全景が目に入るとAさんは意に反してその場に立ち止まってしまう。
 こっちの墓にも人影があったのだ。
 いや人影と呼ぶには足りなすぎる。ひときわ古い墓石の中ほどから、茶色っぽいズボンをはいた両足だけが覗いていた。
 その人の上半身が隠れるだけの空間はどこにもなかった。
 Aさんは今見たばかりのものを必死で母親に伝えた。
「変なこと言う子だねえ」
 眉をひそめながら母親は両方の墓地を見てきてくれたが、誰もいなかったという。
 ただ家の前の道で、このあたりでは見かけない男の人とすれ違ったと言った。
 その人は茶色いズボンをはき首からは白いタオルを下げていて、まるで絵の具で塗ったように顔色が青かったそうだ。

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廊下

 Tはぼんやりした奴だった。
 住んでいたアパートを出ることになり、明け渡しを十日後に控えてもTの引越し先は未定のままだった。バイトが忙しくて忘れてた、などと言い訳しながら、あわてて部屋探しを始めたTはそれでもぎりぎり当日に引越しを間に合わせたようだ。
 なんか変わった部屋でしたよ。Sは微妙な表情でそう言う。そのSに誘われてアパートを訪ねると、まだ解かれていない段ボールの隙間からTが顔を出した。
「先輩、足もとに気をつけて下さい」
 薄暗い床に目をこらすと、奥の部屋に向かう廊下の途中に階段がある。
 階段は三歩下ると平らな床になり、ふたたび三歩上って元の廊下につながっていた。
 私が立ち尽くしているとTは
「俺にも意味わかんないです」と答えた。

 部屋に入るやTは押入れの襖をあけてみせた。
 襖の裏から現れたのは壁で、もう片方の襖をずらしてみせるとそちらも壁がある。
「変わってますよね?」
 つまり襖があるだけで、その向こうに押入れが存在しないのだ。
「でも安かったからしょうがないと思うんですよ」
 そういう問題じゃねえだろ、とSが呆れたようにつぶやいた。
 Tの口から聞いた数字はたしかにこの広さでいえば相場の半額以下だった。
「やばい部屋なんじゃないの?」
「うーん」
 予期に反してTはただ首をかしげている。
「寝ぼけたのかもしれませんけど」自信なさげに彼は戸口を指さした。
「じつは今朝、目がさめるとそこに人が立ってました。こっちは寝てるし、後ろ向きで顔は見えなかったですけど。床が軋んだんですよ、階段を下っていくみたいに」
 廊下の人影は脚の先から少しずつ姿が見えなくなり、最後には頭のてっぺんまで床下に消えてしまった。
「三段しかないのに、全身が隠れるわけないですよね」
 明るくなって我に返ると、部屋の中は日蔭の土のような臭いで充ちていたという。
 やっぱり家賃安すぎると駄目ですねえ。Tはそう言いながら頭をかいた。

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電話

 テレビでアナウンサーが中国語で喋っている。砂浜に埋められていた死体の身元が判明したという。私は中国語がわからないがその部分だけははっきりと聞き 取れた。掘り出された遺体の映像が五分間くらい無音のまま流されている。トイレからもどってきたらまだ流れていた。いくら見せつけられても私が自ら罪を白 状することはありえない。電話が鳴って切れた。鳴ってまた切れる。鳴る。切れる。鳴る。切れる。チャンネルを替えると死体が今度はインタビューに答えてい た。だがなぜ中国語なのだろう? 埋めた男はもっと若い日本人だったのに。電話が鳴る。鳴り続ける。

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顔と話す

 窓から人の顔が覗いた。ここは十一階なので普通ならありえない。けれど顔は窓枠の中を動かず、目玉がぐるり部屋を見わたす途中にぼくと目が合った。何し てるのだ。そう訊ねたのはぼくではない。何って、新聞を読んでいる。すると顔はしたり顔でうなずき、訃報欄を見ただろうと云う。いやまだだ、とぼくが答え ると、じゃあすぐに読めと云った。わかった、とは答えたが釈然としない。今日の訃報欄はがらんとしている。聞いたことのない陶芸家の死を読んでいると、そ れが俺だ、と顔が云う。そうか、とぼくは答えた。じゃあ行くぞ、と云い置いて、顔は窓を離れた。ぼくは紙面に目を戻した。巨人戦の視聴率が、過去最低を記 録したという。

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ラジオ

 受験生活の大切な伴侶であったラジオ。中学時代から愛用した、短波も入るラジオ受信機だったが、大学生になって最初の夏が終る頃には、本棚の上で無残にホコリをかぶっていた。
 この春中学生になった妹がそれを見つけて、貸して欲しいというので預けたのだ。
 以来妹は、最近熱を上げている男性歌手××の番組を、毎晩夜更かしして聴いているらしい。隣の部屋から深夜、ぶつぶつと話し声が聞こえてくる。かと思えば突然笑い声が起こったり、それは私にはすでになつかしい、深夜放送の空気だった。
 だが妹は、夜更かしにはまだ慣れない様子である。ラジオを預けてからというもの、すっかり妹の寝起きが悪くなった。時間ギリギリにやっと寝床から這い出してくる彼女は、いつも目の下に大きな隈をつくっていた。
 母親に小言をいわれながら、パンダのような顔で毎朝家を飛び出していく。

 今夜も壁のむこうで話し声がする。時計を見ると一時を回っていた。
 妹の部屋から聞こえてくるのは、ふたりの人間の会話なのだが、どうやらラジオの声だけではないようだ。ラジオのパーソナリティーと誰かが会話しているように聞こえるが、話し声のうち一方はたしかに妹の声だ。私は少々あきれた。
「おまえ毎晩、電波の××くん相手にお話ししてるのかい」
 翌朝、いつものように遅刻寸前にようやく食卓に現れた妹を、私はそうからかってみた。
 すると妹はあくびまじりに首を横に振る。何言ってるの、という顔つきだった。
「だっていつも、番組始まる前に眠っちゃうもん。あー悔しい、きのうも聴けなかった。結局、まだ一度も聴いたことないのよね、××さんの声!」
 私は首を傾げた。「だっておまえ、ゆうべだって夜中にラジオつけてたろう?」
「聴いてないってば、ちょっと何言ってるの?」
 結局私が寝ぼけて幻聴を聞いたことにされてしまい、妹は学校へ出かけた。

 腑に落ちないまま、その日も夜が来た。
 午前一時、壁越しにいつものようにラジオの声が聞こえてくる。
 声はどう考えても妹の部屋から聞こえていた。男女の声が交互に響いて、女の方はまぎれもなく妹の声だった。
 私は廊下に出ると妹の部屋のドアにそっと耳をあてた。
 壁越しに聞くよりも、言葉がはっきりと聞き取れるようだ。
 ラジオのパーソナリティのお喋りにこたえて、妹が何か話しているらしい。
「……そうなのよ、いやになるでしょうまったく……うちのお兄ちゃんおかしいのよ、夜中に妹の部屋に聞き耳たてるなんて変態でしょう……二十歳にもなって 彼女もいないみたいだし、最近目つきがおかしいんです。私の体を横目でじろじろ見るし……留守のあいだ部屋に忍び込まれてるような気もする。机の上の、物 の位置が微妙に変わってるの……もしかしてこのラジオだって、盗聴器とか仕掛けてあるんじゃないかしら? そういえばあんなケチなお兄ちゃんが、すんなり 貸してくれたなんておかしいと思ったもん……」
 聞き耳を立てながら、私は怒りで全身から血の気が引いていった。
 思わずドアをノックすると、妹の声がやんだ。
 返事はない。
 もう一度ノックした。ドアの向こうで、妹は黙ったまま動く気配もなかった。私はノブに手をかけて、ドアを開けるべきかどうか迷った。すると妹はラジオのボリュームを上げたらしく、今度は聞き覚えのある若い男の声がけだるいトーンで聞こえてきた。
「……お兄さんは多分、キミに欲情してるんじゃないかなあ。そんなことって、よくあることだよね。思春期を迎えた妹と、もてない兄との陰惨な性的関係。……お兄さんはキミが大人になったもんだから興奮してるのさ、こんなに身近に無力な異性がいることを……」
 くせのある喋り方はたしかに××の声だ。何度かテレビの音楽番組で聞いたことがある。××はまるで妹の目の前で直接話しかけるように喋り続けた。
「……それでお兄さんは、壁に耳をあてて、キミの着替えや寝顔を想像していやらしいことをしてる。とてもいやらしいことをね……それ以上はちょっと言えな いな。同性のボクとしてはね……ふふふ、それからいいことを教えてあげよう。お兄さんは今、キミの部屋のドアーに耳を押しあててるところだ、そして君の とっておきの秘密を知ろうとして必死に耳を澄ませているのさ。……どうしようもない変態男だ……そんな男を兄に持ってしまったキミに、ボクは最大級の同情 を感じているよ。だからキミはそっと近づいていって、いきなりドアーをあけてごらん。そしたらお兄さん、あわててファスナーをずりあげて、大切なものを挟 んで悲鳴を上げるかもしれないぜ、これはちょっとした見物だろう、ほら早くドアーをあけてみな、今すぐに」
 音もなくドアは開いた。私は唖然として妹の姿を見つめた。
 電気の消えた部屋の中で、妹はベッドの上にちょこんとこちら向きに座っていた。
 廊下の明かりが妹の顔をうっすら照らし出す。妹はびっくりしたような顔つきで両目を大きく見開いていた。
 ところが妹は、どうやら私が目の前にいることにまったく気づいてないようだ。見開いた目は人形みたいにあらぬ方向を見てじっと固まっていた。恐る恐る私 が声をかけると、視線をこちらに向けようとゆっくり移動するのだが、目玉は私を素通りしてまたどこか別のあらぬ方向を見て止まってしまう。
 私はそっと部屋に踏み込んだ。
 ラジオは机の上にあった。電源ランプが消えている。
 ほかに音源になりそうなものはどこにも見あたらない。
「ほらごらん、お兄さんはかわいそうに呆然と立ち尽くしているじゃないか。妹のプライバシーを覗き見ようとしたことがついにバレて、禁断の性欲が白日のも とにさらされて、もはや言い訳もできやしないお兄さん。どうしていいかわからないのさ。……お兄さんはいま気が動転しているから、何をしでかすかわからな いよ。放っておけばもうすぐキミの首を絞めに来るんじゃないかな。たいへんだ、キミのお兄さんはきっとキミの首をぎゅーっと絞めに来るぞ、変態の兄がキミ の首をぎゅーっと力いっぱい絞めに……」
 私は妹の両肩をつかんで激しく揺すぶった。しっかりしろ、しっかりしろと言いながら何度も肩を揺すぶると妹は「ぴー、きゅるきゅるきゅる、がーっざ ざーーっ」とラジオのチューニングを回すときのようなノイズを口から発したあと、ばたんとベッドに倒れ込み、そのまま静かに寝息をたてはじめた。

 翌朝。いつものように目の下に隈をつくり、妹は時間ギリギリに食卓に現れた。
 私の前に座ると、私の目を見て憤懣やるかたないといった調子でまくしたてた。
「もうアッタマきちゃう。だってゆうべはぜったい聴こうと思って、コーヒー三杯も飲んだのにやっぱりダメだった! どうしてあたしってすぐ寝ちゃうんだろう、子供じゃないのに。……気がつくと朝なんだからもう。あーいつになったら聴けるのかなあ××さんの声……」
 そしてものすごいスピードで牛乳を飲み干すと、ニカッと笑った。時計を見てあわてて玄関を飛び出していく。
「ほんとにあの子ったらしょうがないわねえ、毎晩遅くまで何してるのかしら」
 台所で母親があきれたようにブツブツとつぶやいている。
「ラジオ聴いてるんだよ、あのくらいの齢の子はみんな」
 私は食後の煙草をふかしながらそうこたえた。

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まぼろしの神経戦

「天井裏にいる奴らだよ。それ以外考えられない」
 男はアザだらけの顔を私のほうへ向けて声を漏らした。
「つまりあなたは、謎の集団に夜な夜な頭の中をいじり回された揚げ句、目玉を盗まれたというのですか」
 私は思わず吹き出しそうになるのをこらえて、ゆっくりと訊ねる。男は軽くうなずきかけてから、慌てて首を振った。
「いいや謎の集団じゃない。奴らは俺の子孫なんだ」

 男の言い分はこうだ。何十代も先の自分の子孫が、時間を遡って自宅の天井裏に潜んでいる。奴らは夜毎降りてきては暴力を振るう。最近とうとう眼球を奪われてしまった。時折、奪われた俺の目玉が今どこかで見ている光景がフラッシュバックのように頭に飛び込んでくるが、それはこの世のものとは思えない酷い光景だ……。
 男は貧乏揺すりを続ける膝に手を載せて、泡のついた唇を開く。
「理由なんて知るもんか。とにかくあいつらはまともじゃないんだ」
 落ち着きなく体を動かしながら、消え入るように続けた。
「朝起きると、体がアザだらけになってる。だけど何も覚えてないんだ。……かと思えば、鉈でぶち殺された記憶なんてものがあるんだよ、ズタズタに切り裂かれて……」
 私はかまわず機械的に質問を続けた。
「だけどおかしいですね。あなたの目は今、ごく普通に私のことを見ておられる。特に変わった様子もないようですが」
 男は激しくかぶりを振った。
「冗談じゃない。俺には今、あんたの声しか聞こえてない。何も見えてない。俺の目は空洞なんだ。俺の目玉は奴らの手元にあって、今頃恐ろしい場景を」

 私は彼の目に顔を近づけていった。
「見えるでしょう? あなたは見えているはずです、本当は」
 男の顔面は蒼白になった。
 声にならない叫びが言葉に変わるのに、数分間を要した。
「……今、俺にそっくりな顔が、だけどまるで死人みたいに無表情な顔が目の前に、いや頭の中に飛び込んできて、そいつは手に、鉈を持っていた。ああ、今度こそ俺は殺され」

 男が言い終る前に、私は手にした鉈を机上の眼球に振り落としていた。
 ぐふ。
 という息を残して男は悶絶する。

 暗い部屋。我々の前には潰れた目玉の欠片が薄汚く散らばり、頭を機械に喰わえ込まれた男が天井から絞首刑のようにぶら下がる。だらしなく足が揺れていた。アザだらけの狭い額に滲む脂汗。
 掃除中。頭ノ中ヲ掃除中。多少ノごみハ残ルケレド。誰かがそう呟くと、我々は堪えきれずにゲラゲラ笑い出す。ゲラゲラゲラゲラ。静寂……

 そして今日も天井裏で夜を待っている。

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死面疽

  写真にうつっている顔はふたつあった。ひとつはよく知った自分の顔。もうひとつは自分とよく似た別の顔。背景が暗いのでその白い顔は鮮明に浮かび上がって 見えた。首のあたりに貼り付くように、本当の顔と較べてかなり小さいが、目鼻も同じように小さいのでつくりのバランスは本物と変わらない。ただし「表情」 はどう見ても異常で、生きた人間のものではなかった。

 これを医師の知人に送ったところ折り返し電話で死面疽と診断された。人面疽といえば人の顔に見える腫れ物だが、ここにいう死面疽とは自分の死顔が腫瘍と なって皮膚に現れたものである。これに罹った患者は徐々に衰弱してとうとう腫れ物と同じ顔にやせ衰えて死ぬ、と云われている。だが古い文献に名前が残って いるだけで少なくとも近代以降の医学史にこの病が登場したことはない。載っていた文献の名も忘れてしまったので、本当にあった言葉かどうかも心許ない。つ まり我々はこれを病気とは認めない。知人はそう語っていた。

 いずれにせよ私の首に気味の悪い顔が貼り付いたことに変りはない。死病であろうとなかろうと、この忌まわしい腫れ物は私の人生に暗い影として取り憑いた。

 くだんの写真の現像を頼んだ馴染みの写真店主は、私のかわりに妻が受け取りに来たことを戸惑いながら、「二重露光だと思うんですがね……」と云って写真 とフィルムを見比べたという。妻からそんな話を聞かされながら、私は首に巻いた包帯の下でひそかな笑い声のような音が漏れるのを感じていた。しかしそのこ とはまだ妻にも云っていない。

 欠勤を続ける私を心配して、あるいは滞りがちな仕事を憂慮してだろうか、上司から電話があった。
「どうだ、調子はまだ悪いのか」
 聞き慣れたざらざらした声が受話器に響く。
「じきに死ぬよ」
 私は唇が冷たくなるのを感じた。答えたのは私ではなかった。
「どうしたんだおい、気は確かなのか」動転したような声を遠くに聞きながら、私はいつのまにか電話を離れて、ベッドに潜り込んでいた。

 妻は私といるのが気詰まりらしく、何かと用事を見つけて家をあける。
 一週間は取り替えていない包帯がいやな匂いをたてはじめた。
 私は最近ひどく無口だ。喋ろうとすれば、かわりに別の口が喋り出すかもしれない。そう思うと口をきく気にはなれない。あの声を二度と聞きたくはなかった。
「馬鹿なこと考えるな、ただの腫れ物だよ」
 電話の知人は笑うだけだった。
「じきに死ぬよ」
 と腫れ物が答えていた。

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部屋にいる子供

 あんまり知らないんですよぼく、怖い話って。
   だから皆さんみたいに、身の毛のよだつようなオソロシイ話はできないんですけど……じゃあひとつだけ、人から聞いた話なんですけどね。
   ええと、うちの店の常連客で、石黒っていうヤクザがいるんです。
   その人がね、お化けを見たって言い張るんですよ。本当かどうか知りませんよ、うちみたいなカレー屋で、飯食ったあと二時間も雑談していくんだから、ヒマな人には違いないんだけど……。
   その日石黒さんは三時半頃店に来て、ほかに客のいない店内でメンチカツカレーを注文しました。そして青い顔して言うわけです。
   ついさっき幽霊を見ちゃったって。
 石黒さんの住んでるのはアパートの二階で、そこはうちの店から歩いて五分くらいのところにあります。彼が引っ越してきたのは一昨年ですから、もうそれな りに長く住んでるわけですが、あまり地元の情報には詳しくないですね。近所の人とも全然交流ないみたいだし。なにしろ見るからにカタギじゃない顔してます からね、あの付近で何か事件が起こると、きっと犯人はあの人に違いないって必ずウワサになるんですよ。本人は知らないみたいですけど。
 うちの店には引っ越して間もない頃からよく顔を見せて、カレー好きみたいでね。はじめは私も緊張しましたけど、ご飯の一粒も残さずきれいに食べる人で、 だんだん好感持ったんで、ちらっと「いつもありがとうございます」なんて話しかけたんです。そしたら石黒さん、途端にぺらぺらとしゃべり始めて、それから は毎回、わざわざ空いている時間にやってきては、長話をしていくようになったんですよ。
 で、このあたりに安い床屋はないかとか、最初はそんな話をしてたんですが、そのうち彼のお父さんの実家のサクランボ農園の話だとか、酒が弱くてビール一 杯で熟睡するとか、ご自分のことも色々話してくれるようになりまして。私なんてもう、自分の女房とかよりも、石黒さんの身の上のほうに詳しくなっちゃっ た。そんな感じなんですけどね。
   そうそう、それで石黒さんの住んでるアパートなんですが、じつはちょっと因縁のあるアパートなんですよ。……ちょっとじゃないか。かなり、かな。
   今から十年くらい前ですけど、新聞にも載った事件で、小学生の女の子が義理の父親に殺された事件って覚えてます? あれの舞台になったのがじつはそのアパートなんです。
 殺された女の子は押し入れに一年間押し込めっぱなしで、近所でも変な匂いがするって評判になってたみたいです。それから最近やたらハエが多いってね。犯 人の男は妻に逃げられて、女の子と二人暮らしだったんですが、子供の姿が見えなくなっても近所の人は「きっと親戚が引き取ったんだろう」って思ってたみた いです。
  「そのほうがあの子にも幸せだ」なんて言いながらね。
 発見された死体は、干からびてほとんどミイラみたいだったそうです。義父に首を絞められた時の表情なんでしょうか、物凄い形相のまま死体になっていたと 聞いてます。立ち会った警官が恐怖のあまり寝込んじゃったとか、それはパーマ屋のおばさんが言ってたのかな。だとすればあんまり当てにはならないけど。
   とにかくまあ、そんな事件があったわけですから、事件後の部屋はしばらく借り手がつかなかったみたいです。アパートのほかの部屋の住民も、歯の抜けるように出て行っちゃって、ほとんど廃虚みたいになってた時期もありました。
   その後外壁や内装を全面的に改装して、建物の名前も変えてしまったんです。なんだかすっかり洋風な名前になっちゃいました。
   で、事件から一年以上経つ頃には、ふたたび部屋も埋まって、それからは何事もなかったように月日が過ぎました。私もいったい何号室で事件があったのかすっかり忘れてましたし、改装工事のあと、部屋   番号も振りかえてしまったみたいですね。事件に関する世間の記憶を撹乱しようというわけでしょうな、大家としては。
   ところがですね、ええとこれは電気屋のオヤジに聞いた話なんですが、出たらしいんですよ、その部屋に。
   幽霊です。殺された女の子らしい人影が、部屋の中をさっとかすめるのを見たんだって。それをクーラーの出張修理に出向いた、電気屋のオヤジが見てしまったと。
  「急いで修理済ませて帰ってきたけど、帰ってからようく思い出したらやっぱりあの部屋なんだよ事件があったのは。もう二度とあのアパートには入りたくない」
   なんて言って、ブルブル震えてるんですよ、いい年した禿頭のオヤジが。
   私はまあ気のせいじゃないかって思ったんですけどね。
 ところがそれから半年くらいすると、今度は集金に行った新聞販売店の人が見てしまったらしい。例の部屋の、玄関でお金を受け取っているとき、部屋の奥で ちょろちょろ動く影がある。誰かいるのかなあと思って何の気なしに見てると、小さな女の子が押し入れから這い出そうとしてるところなんです。
   すっかり血の気の引いてしまった彼は、口をあんぐりあけたまま動けなくなった。
   それで部屋の住人からは「どうしたんですか?」って心配されちゃって、思わず今見たものを正直に話してしまったらしいんです。
   それから、このアパートでかつて殺人があって、殺されたのは女の子で、場所はたぶんこの部屋なんじゃないか、ということまで全部。
 住人(若い男だったそうです)はそのときは笑いながら、「そんな馬鹿なことあるわけない、今まで住んでいて何も見たことないですよ」なんて言ってたらし いですけど、それからすぐに彼は引っ越してしまった。こういう話聞いちゃったら、ちょっと住んでられませんよね普通。
   次に部屋を借りたのもやはり事情を知らない人だったらしいです。まあ当然でしょうか。
   ただその人は宗教やってる人みたいでした。なんたら言うモダンな名前の教団の女性信者で、夜中にブツブツつぶやく声がするって、はじめはそれが幽霊だと勘違いされたみたいです。近隣の人たちからは。
   ほんとは何か経文みたいのを唱えてた声らしいですよ。まあそれにしてもじゅうぶん周りからすればブキミですよね。あの部屋はやっぱり祟られてる、だからあんな変な人が住むんだ、なんてウワサされてました。
   私に言わせれば、祟られてるっていうより、みんなが住みたがらない部屋ですからね。入居審査も甘くなって、普通なら断られそうな人でも借りやすいってことだと思うんですけど。
   実際、アパートの住民全体を見渡しても変った人が多くなりました。いわゆる堅実なサラリーマン風は一人もいなくなったかな。平日の昼間からウロウロしてる人が多いし。
   そんなわけで、ヤクザの石黒さんもそのアパートに部屋を借りることになったわけです。
   お察しの通り、彼が借りたのは例の部屋です。石黒さんと話をするうちに、そのことは薄々勘づいてはいたんですけど、黙ってましたよ。あまり度胸のありそうな人じゃないから気の毒だし、それにやっぱりちょっと、言うのに勇気いりますよね。
   それなのに、引っ越してから一年半も経ったその日、突然彼が幽霊を見たなんて言い出すからびっくりしたというわけです。
   石黒さんは明け方頃ふと目を覚まして、便所に行きたいと思って布団を出たそうです。そしたら押し入れのフスマが十センチくらいあいている。べつに何とも思わずに用を足してふたたび眠って、朝になって見ると今度はぴったり閉じていたって。
   はじめは寝ぼけたかと思って、いやもしかして泥棒じゃないかと思い直した石黒さんが、意を決してフスマをあけると、中には小さな人影がちょこんと座っていました。
   石黒さんは失神してしまったそうです。気づいたときは昼過ぎで、もう押し入れには何もなかった……。
   カレーを食べ終った石黒さんはすっかり暗い顔になって、あれは祟りに違いないって言うんです。すべてを教えてあげようと決心した私をさえぎって、彼はいつもと違う沈痛な声で、ぽつりぽつりと語り始めました。
   俺はヤクザだけど人殺しは一度しかしてない、それはじつは幼稚園の時なんだって。
   幼稚園の同じ組に好きな女の子がいて、石黒さんはいつもいじめてばかりいたそうです。その日のプールの時間、いつものようにいたずらっ子ぶりを発揮した石黒さんは、女の子の背中を見つけると、うしろからプールへ思いきり突き飛ばしてしまった。
 それがあまりに突然だったせいか、幼児向けの、浅い水たまりみたいなプールなのに、本当は泳げる子なのに、女の子はおぼれてしまった。幼い彼がただ呆然 と見守る中、異変に気づいた保母さんにようやく助け上げられた女の子は、すでに体が冷たくなってて、病院に運ばれても二度と目をあけなかったんだそうで す。
   その後、石黒さんの一家は逃げるように別な町へ引っ越してしまったので、石黒さん自身は一度も女の子の墓参りをしてないんだって。
   そのことは、やたら気に病んでましたね。
   きっとあの子に違いないって、彼は言うんですよ。ちょうど今頃の季節だった、あれから三十年以上経つけど、いまだあの子は俺を恨み続けて、浮かばれてないんだって。
   ……どうしたもんだと思います? ええとつまり、石黒さんにあの部屋の因縁のことを、教えてあげるべきかどうか、なんですけど。
   いったいどちらの幽霊だったほうが、彼にとっては幸せなんだか、不幸せなんだか。
   罪悪感に苦しんでるのは、見ていてすごく気の毒なんですけどね。
   かといって、あんなに真面目に悩んでるところへ、水を差すようなこと教えるのも何か気が引けるというか……相手は店のお客さんなんだし……それに……
   やっぱりヤクザだから、ちょっと怖いし。

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手首

 中学の同級生だったカオリさんが死んだのは去年の秋でした。
   死んだのは線路の上です。貨物列車が通り過ぎたあとに残ったのはバラバラの部品に分かれたカオリさんの体でした。 ただ左の手首から先だけがどこにも見あたらなかったそうです。
   このことについては少し思い当たるところがあります。
   教室のカオリさんはいつもつまらなそうな顔でした。クラスのみんなが先生の話に笑ったり私語に夢中になっている時も、カオリさんの目は天井や床や窓の外をうろうろとさまよっている感じで、彼女の頭はきっとこの教室の中にはないのだなと思いました。
   なんでこんなこと知っているのかというと、ぼくはカオリさんのことをとても気にしていたのです。
   好きだったのかも知れません。
 高校時代も一度だけカオリさんに会ったことがあります。そのときカオリさんは背の高い女の子といっしょに町を歩いていました。 手をつないでいました。ぼくはすぐにカオリさんだと気づいたのですが、なんとなく声をかけづらくてそのまま歩いていきました。暑い日でした。アスファルト に陽炎のたちのぼる午後でした。地下鉄の階段を下りようとしたところ、後ろから女の人の声がしました。
  「久しぶりね何してるの」
   振り返るとカオリさんと背の高い女の子が立っていました。手はつないだままです。ぼくはどんな顔をしていいのかわからず、結果ろくに返事もできませんでした。けれどカオリさんはおかまいなしに話しかけてきます。横には背の高い女の子がすました顔で並んでいます。
  「ねえイリチくんこの人誰だと思う? この人あたしの言うこと何でも聞くのよ。この人には意志がないの。すべてあたしの思いどおりなの。いいでしょう。とてもかわいくておりこうなのよ。ほらちゃんとおじぎしなさい」
 背の高い女の子はちょこんと頭を下げました。思わずぼくもおじぎを返しました。その後で何ともいえない変な気持ちでカオリさんと女の子の顔を見比べまし た。顔だちは違うのにマネキン人形のような表情が姉妹のように似ています。カオリさんは女の子の手をにぎったままの左手をみせびらかすようにして言いまし た。
  「こうして手をつないであげると安心するのよ。この人は意志のない人だからかわりにあたしの意志をこうして手のひらから分けてあげているの。だから一日中ずっと手をつないであげているの。ほらこうして絶対とれないようにしてね」
   見るとカオリさんの左手は穴をあけてちいさなチェーンが通してあり、そのもう一方の先が女の子の手のひらに刺さっていました。
  そうしてチェーンは二人の手のひらを貫いて輪をつくっているのです。ぼくは複雑な気分になりました。見てはいけないものを見てしまったような、困った気持ちになって思わず目を伏せたことを覚えています。
  「それじゃあたしたち行くからね」
   じつはカオリさんがバラバラになって死んだ日、ぼくは久しぶりにあの背の高い女の子の姿を見かけていたのです。地下鉄が地上を走っている駅のホームで、女の子は相変らずマネキン人形のような顔でひょろりと立っていました。
 女の子は何かをくるんだ包装紙のようなものをひとつ手に抱えていました。ときどき紙を少し開いて、中身をつまみ出すとポリポリと噛っているようなので す。ぼくは隣りのホームから眺めていました。電車が幾度となく発着を繰り返しましたが、人込みが切れると女の子はいつもそこに立っていて、同じようにポリ ポリと何かを噛っているばかりです。手にした包装紙から小さな細いものがこぼれ落ちるのが見えました。瞬間キラリと光ったそれがあの時のチェーンに見えた のは、単にぼくの気のせいだったのかも知れません。
   だけどその時すでにカオリさんが電車に轢かれていたなんて、ずっとあとになって知ったことなのです。
 あの暑い日の午後に会ったっきり、カオリさんと女の子がその後どうしていたのかぼくはまったく知りません。でもカオリさんにとって背の高い女の子は宝物 だったと、ぼくはあの日のカオリさんを思いだすたびに思います。そしてたぶん女の子は、すべてカオリさんの望むとおりにしてあげていただけなのだと思うの です。
   だってあの背の高い女の子には、意志というものまるでがないのですから。

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